C-na Diary

しーなの もつれがちな日々

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お彼岸に

お彼岸ですね。

昨日、二度目の東北ツアーより帰宅しました。
震災後ようやく復旧した魚市場で行われたイベントと、
仮設のカフェでのライヴ、
そして人口が流出した被災地での慰問コンサート。
宿泊は、トレーラーハウスの宿舎や仮設住宅にお邪魔して。

様々な人と出会い、話をし、行動を共にし
多くの事を感じ、考え、願い、祈った。


ミュージシャンは音楽を奏でるのが使命であって、何かについてベラベラ語るもんじゃない、
ましてや思想の押し売り、糾弾などは以ての外、と強く信じ、日々暮らしてます。
でもまぁ、人並みの感慨や多少の信心はあるし、お彼岸でもあるし、
それなりにいろいろ思うことはあるのであります。


万事に無数の局面があって、人それぞれに感情や判断基準がある以上、答えの出ないことが沢山ある。
むしろ世の中には答えの出ないことばかり。
それを「おかしい」と感じるし、腹も立つ。
では、自分は「どうするか」となると、すぐには動けなかったりする。
動けない自分にガッカリする。
「こうしたい」という事が思いつかないこともある。

「こうしたい」という感情は「好き」に似ている。
何かが好きだ、何かをしている自分が好きだ、何かをしたいと頑張っている自分が好きだ、何かの為に頑張れる自分が好きだ、、、
「正しい」からしたいのではなく、沸き起こってくる感情、衝動だ。

人との繋がりも、そう。
誰かに会いたい、誰かと一緒に過ごしたい、誰かの笑顔が見たい、誰かの声を聴きたい、誰かに手紙を書きたい、誰かにご飯を作ってあげたい、誰かの音楽に触れたい、、、
理由は、ない。
「好き」という感情に理由なんていらない。

誰かが嫌い、誰かの顔を見たくない、誰かとは口をききたくない、誰かの言うことに従いたくない、誰かの言葉が突き刺さる、誰かを恨んでしまう、、、
それに対しては、しごく正当な理由があるはず。
「嫌い」という感情には山のような理由がくっついているものだ。

人間は弱いイキモノだけれど、
自分の心の声を聞き、それを実現する力は、パワーに差はあれど誰もが持っている。
「好き」はそれを助けるエネルギーをくれるし、「嫌い」はそれを邪魔する。


ワタシが好きなこと、ワタシがこれからしたいこと、
出会いたい事、出会いたい人、見たい風景。
それを考えると、限りないエネルギーが脳ミソと体中に満ちてくる気がする。

どこからやってくるのだろう?この力は。

もしかして、彼方(アチラ)から、、
なのかな?

などと。


お彼岸ですもんね。



写真は、宮城県の女川漁港から見た復興工事と、のほほんと浮かぶカモメちゃん達。


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[ 2015/09/23 12:40 ] 祈り | TB(0) | CM(0)

夾竹桃

わたしは仕事で歌やピアノのレッスンをしています。
会場も違えば、生徒さんもさまざま。年齢も目的もいろいろ。
その中のひとつに、70歳以上の女性8名、という歌のクラスがあります。
いつも明るく笑い声の絶えない仲良しグループのこの方々は、全員が「被爆者」です。

8月に入ると、みなさん口を揃えて「お墓まいりが忙しい」と言われます。8月6日に亡くなった友人知人が多いから、とても1日では回りきれないのだそう。

時折、原爆の話になります。
小学生だった方がほとんどですが、口々に「昨日のことのようだ」とおっしゃいます。

市内の自宅や校庭で被爆されたみなさんのおっしゃることは、ほぼ一致していて、多くのことを知りました。

8月6日の朝、警報が解除された広島の青空に、B29がハッキリと見え、みんなでおかしいねぇと言った直後だったこと。
原爆が落ちた瞬間、爆心から近い観音のあたりでは真っ白、少し離れた己斐のあたりではオレンジ色の光に包まれたこと。原爆のイメージは彼女たちにとっては「閃光」だそうです。
その後、映画で見るような真っ黒い煙の絨毯が市の中心部からゴォというすごい音とともに山の手に駆け上がってきたこと。
吹き飛んだガラスの破片で多くの人があちこちに怪我をしたこと。
黒い雨はコールタールのようにネチャネチャしていたこと。
己斐の方では時間とともに、火傷で皮膚の垂れ下がった人たちが市内から続々と歩いて逃れてきたので、家を解放し、自分らは側溝で星を見ながら幾晩も寝たこと。
焼けずに残った家はほとんどが爆風で傾いていたため、家は扉があかないのが普通だったこと。

何年も何年も、つい最近まで、原爆の日のことを誰にも話したくなかったこと。
今でも、平和や原爆に関する朗読劇やお芝居を観ても心から感動できず、大きな悲しみと鈍い虚無感に心身が支配され、やりきれない気持になってしまうこと。

彼女達の親の世代の方は、もうほとんどが他界されていますが、原爆に関するどんな番組や映画を見ても「あんなもんじゃなかったよ…」と必ず首を横に降ってらしたそうです。

みなさんの話は、毎回「とにかく戦争はいけんよね」で終わります。



ずいぶん前ですが、ワタシは「オペラ はだしのゲン」でゲンの姉の英子を演じたことがあります。
自宅で被爆し、モンペ姿のまま瓦礫に埋もれて死ぬ役でした。
死ぬ日、つまり8月6日の朝「夾竹桃のうた」という美しいアリアを歌いました。戦争のことには一切触れず、夾竹桃がきれいに咲いている広島の街を歌った曲でした。でも、英子がこの世で最期に見たのは地獄絵でした。

現在のワタシの中に、彼女の悔しさが時々顔を出すことがあります。

私は山口で生まれ育ちましたが、今はもう完全にヒロシマの人間なのかもしれません。



今日は、平和祈念日。

どうぞ安らかに。


黙祷。


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[ 2015/08/06 02:20 ] 祈り | TB(0) | CM(0)

凛と

桜が満開の春の日
父を見送った。


18歳から親元を離れているワタシ。
大人になってからはもちろんのこと
子供の頃から親の前で泣いたことがあまりなかった。
弟が泣き虫だったからかな?いつも自分はしっかりしてなくちゃ、と思っていたような気がする。
親に泣き顔なんて見せたくない。
泣きたい時は、部屋に籠って一人で泣いたもんだ。
家族で映画やドラマを見ていて、うっかり涙ぐみそうなシーンになると
CMの間にトイレにかけこんで顔を洗い、平気な顔で居間に戻ったりしてた。
子どものくせに可愛くなかったな、と思う。
いつもクールでドライに、まぁ、カッコつけてたんだな。

なので、
父の通夜でも葬儀でも、いい歳したオバサンが今更オイオイ泣くのもどうかと思い
娘にも「笑顔で送ろうね」なんて言って
顎が痛くなるくらい奥歯を噛み締めてガマンしてた。
しかし、しかし
まぁ、歳をとったということなのだろうけど
葬儀の後半、遂に制御不可能に。
ヤバい、決壊かも、、
堰を切ったように後から後から涙は溢れ、ティッシュもハンカチも間に合わず
ハンドタオルを押し当てて、、
鼻は真っ赤、顔もパンパン。

さぞやカッコ悪かっただろう。


親の死というものに、自分がこれほど動揺するとは思いもしなかった。


うーむ



時間が、いつか全てをやさしくおさめてくれるのかな。

きっと、毎年
桜の季節がくるたびに
幾度も幾度もこの暖かな春の日を思い
拾えなかった(火葬場から演奏会場へ飛ぶようにして行ったので)遺骨を
ひとつひとつ数えるように
年月を数え
歳を重ね
やがては母を見送る日が来て
そしていつの日か、父のところへ逝くのだろう。




その前に、やらねばならぬことが
山ほどある。


だから、
あいかわらず、歯を食いしばって生きるわけだけど。


ちょっとだけカッコつけて
クールに
凛、と。

生きていくもんね。




そっちから
見ててね。




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[ 2014/04/27 23:49 ] 祈り | TB(0) | CM(5)

大晦日に

2011年のクロージング。

さまざまな想いを縫うように
大晦日は訪れる。



毎年、この日に感じてきたのは
人々の暮らしの中に横たわる、慎ましやかな温もり。

生きる、ということは
暮らす、ということ。
暮らす、ということは
流れていく、ということ。
それはきっと
全てを受け入れてゆく、ということ。




行く先のわからない
穏やかで素朴な哀しみがワタシを包み込んでいて
それもまた、自分らしい年の瀬の佇まいなのだと
静かに納得している。




ワタシの愛する全ての人が
シアワセな新年を迎えれますように。




祈りと

感謝を。














[ 2011/12/31 00:29 ] 祈り | TB(0) | CM(0)

意味

今日は8月6日。



例年どおりNHKの祈念式典の中継を見ながら
8:15の黙祷を。
TVの鐘の音と同時に近所のサイレンが鳴る。
それが
ヒロシマという街の、この日の朝だ。
66回、繰り返されている朝だ。


TVでは
引き続き、市長の平和宣言。

続いて、子供代表。
男の子は、娘と同じ小学校で

「人間の力を信じる」と、彼らは言った。

そのとおりだね。
その信頼が決して裏切られることのない、そんな世の中にならなければ。

「それを作れるのは人間だ」と、彼らは宣言した。




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昨夜
原爆ドーム対岸の河川敷で行われたコンサート「地球ハーモニー」に
「しーなとシュウ」で、初エントリーした。

とある決心があり。

大学進学という事情だけで、この広島へ移り住み
卒業後もこの地に残り
仕事を始め
この地で結婚し、この地で子供を育てている。

戦争をはじめとする人災の犠牲、という意味では
ヒロシマだけが特別な地ではないのかもしれない。
しかし
ヒロシマに暮らす、ということの意味を
自分なりに
ずっとずっと考えてきた。

山口県で生まれ育ったワタシだが
気がつけばこうしてずいぶんと長く広島に住んでいる。
義母は被爆者であり、結婚相手は被爆2世、そしてワタシは被爆3世を生んだ。

これまで
自分の音楽活動の中で唯一行動したヒロシマは
オペラ版「はだしのゲン」への出演だ。
若い時分だったが
ゲンの姉役を演じ、歌った。
被爆シーンもあり、ワタシは瓦礫のセットの中で死んでいった。

東京でも公演したその舞台は、大変有意義で好評だったのだが
しかし
自分の中で何かがねじれ
以来、「8.6」への参加は、自分の中で拒み続けてきた。


しかし
時はワタシを変えたようだ。

昨夜
「ヒロシマから世界へ 祈りをこめて」の、ひとことだけで始めた演奏。
原爆ドームを覆うヒロシマの空と、元安川の水に臨むワタシには
揺らぎも迷いも畏れもなかった。
むしろ、川風や素足の下の大地から「気力」を感じ取れる自分と
そんな自分を取り巻くもの全てを、大切で愛しく思いながら
音楽に自我を捧げていた。

この一瞬こそが
ワタシが
ヒロシマに暮らす意味かもしれない
と、思えた。




今日も暑くなりそうだ。

毎年
必ず
8月6日は、暑い日なのだ。



今日も元気に生きよう。







[ 2011/08/06 09:44 ] 祈り | TB(0) | CM(0)


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