C-na Diary

しーなの もつれがちな日々
月別アーカイブ  [ 2015年08月 ] 

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夾竹桃

わたしは仕事で歌やピアノのレッスンをしています。
会場も違えば、生徒さんもさまざま。年齢も目的もいろいろ。
その中のひとつに、70歳以上の女性8名、という歌のクラスがあります。
いつも明るく笑い声の絶えない仲良しグループのこの方々は、全員が「被爆者」です。

8月に入ると、みなさん口を揃えて「お墓まいりが忙しい」と言われます。8月6日に亡くなった友人知人が多いから、とても1日では回りきれないのだそう。

時折、原爆の話になります。
小学生だった方がほとんどですが、口々に「昨日のことのようだ」とおっしゃいます。

市内の自宅や校庭で被爆されたみなさんのおっしゃることは、ほぼ一致していて、多くのことを知りました。

8月6日の朝、警報が解除された広島の青空に、B29がハッキリと見え、みんなでおかしいねぇと言った直後だったこと。
原爆が落ちた瞬間、爆心から近い観音のあたりでは真っ白、少し離れた己斐のあたりではオレンジ色の光に包まれたこと。原爆のイメージは彼女たちにとっては「閃光」だそうです。
その後、映画で見るような真っ黒い煙の絨毯が市の中心部からゴォというすごい音とともに山の手に駆け上がってきたこと。
吹き飛んだガラスの破片で多くの人があちこちに怪我をしたこと。
黒い雨はコールタールのようにネチャネチャしていたこと。
己斐の方では時間とともに、火傷で皮膚の垂れ下がった人たちが市内から続々と歩いて逃れてきたので、家を解放し、自分らは側溝で星を見ながら幾晩も寝たこと。
焼けずに残った家はほとんどが爆風で傾いていたため、家は扉があかないのが普通だったこと。

何年も何年も、つい最近まで、原爆の日のことを誰にも話したくなかったこと。
今でも、平和や原爆に関する朗読劇やお芝居を観ても心から感動できず、大きな悲しみと鈍い虚無感に心身が支配され、やりきれない気持になってしまうこと。

彼女達の親の世代の方は、もうほとんどが他界されていますが、原爆に関するどんな番組や映画を見ても「あんなもんじゃなかったよ…」と必ず首を横に降ってらしたそうです。

みなさんの話は、毎回「とにかく戦争はいけんよね」で終わります。



ずいぶん前ですが、ワタシは「オペラ はだしのゲン」でゲンの姉の英子を演じたことがあります。
自宅で被爆し、モンペ姿のまま瓦礫に埋もれて死ぬ役でした。
死ぬ日、つまり8月6日の朝「夾竹桃のうた」という美しいアリアを歌いました。戦争のことには一切触れず、夾竹桃がきれいに咲いている広島の街を歌った曲でした。でも、英子がこの世で最期に見たのは地獄絵でした。

現在のワタシの中に、彼女の悔しさが時々顔を出すことがあります。

私は山口で生まれ育ちましたが、今はもう完全にヒロシマの人間なのかもしれません。



今日は、平和祈念日。

どうぞ安らかに。


黙祷。


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[ 2015/08/06 02:20 ] 祈り | TB(0) | CM(0)


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